あえて情報を遮断する重要性・価値について
情報とはなんだろうか。昔であれば集団内で聞こえてくる噂話、現代であればメディア・SNSのデジタル情報だろう。
情報は本来、持っていれば有利に物事を進められるものだった。「だった」と過去形にするのは現在では過剰負荷として僕たちを苦しめているからである。
ある事象の選択肢を絞り込み、受け手の状態を変化させる決定的な差異
gemini
確かに、情報は受け手の状態を変化させる魔法でもある。戦では情報が多いほど有利であり、アラン・チューリングはナチスの暗号機「エニグマ」を解読し、貴重な情報を得ることに成功した。
書籍は、成功者の経験や思考を凝縮した知恵に触れられる最も手軽な手段の一つだ。実際に、多くの人の人生に示唆を与え、僕自身も何度も助けられてきたと感じている。
しかし現代ではどうか?
世に溢れるのは加工された生活をさらけ出すSNS、根拠が不確かなフェイクニュース、スポンサーの忖度と利権が働くコマーシャル…など情報といっても質が低く、とても有益とは言えないのが現状だ。
オーストラリアは2025年12月、16歳未満のSNS利用を法律で全面禁止する世界初の措置を施行した。スペインやフランスも規制する方向性で、世界全体が規制をする流れに傾いている。
今は亡きApple共同創業者スティーブ・ジョブスやMicrosoft創業者ビルゲイツも、家庭内では子供のスマホ使用に制限をかけていることで有名だ。
デバイスやサービスを生み出した側の人間たちが、子供のスマホ利用に制限をかけている。このことから、とてつもない悪影響があると推測できる。
それほど依存性が高いのが「スマホ」なのだ。
僕自身、スマホアプリの開発現場にいるが企業はユーザーのデータを事細かく取得している。どの画面で、どのボタンに反応が1番あるのか?ユーザーがボタンを押した瞬間にログが即座に送信される仕組みである。
そのデータを元に分析し、ユーザーを1秒でも画面から離すまいと改善を加える。InstagramなどのSNSのUI(ユーザーインターフェース)がコロコロ変わるのもその為で、ABテストも頻繁に行われている。
このような内情を全く知らずに、無意識にSNSを使用していると思考停止で見続けてしまう。10代・20代のスクリーンタイムは平均7時間〜7.5時間以上といわれているのが驚きだが、僕も若い頃は深夜から明け方までずっとスマホを眺めていたのを覚えている(寝落ちまでがセット)。
さらにタチが悪いのは、時間が失われている感覚がないこと。常に時間がない、やらなければならないことも終わらない。そんな末期症状にも陥ってしまう。
この状況を打破するにはもちろん「情報の遮断」が不可欠だ。
そして、この遮断方法は下記の方法しかない。
①スクリーンタイムを制御する
②物理的にスマホをロックする
③アプリでスマホをロックする
④アプリ自体を削除する
⑤SNSアカウントを消す
⑥スマホ自体を持たない
①が1番易しく、⑥が1番エクストリームである。
僕の場合、初期はタイムロッキングコンテナにスマホを入れて物理的にロックしていた(②の方法)がコンテナ自体を持ちたくなくなった&充電が面倒という理由で現在はアプリ自体を削除する方法を採用している。
この方法でガクッとスマホ使用時間が減り、思考もクリアになりやるべき事・やりたい事へリソースを割くことが可能になった。
ただ、メインで発信しているYouTubeアプリは残しており(Premiumも加入している)履歴機能はOFFにしてホーム画面を無作為に動画が表示されないように対策している。
たまにインスタグラムのアプリをダウンロードしてStoryをアップしたりするが、しばらくいじってしまったりするので終わったらすぐに削除するように心がけている。
それほどSNSアプリの魔力は絶大なのである。では、この“魔力”の正体は何なのか。
それはシンプルに言えば、人間の本能をハックしていることに尽きる。
人間の脳は進化の過程で「新しい刺激」「社会的評価」「予測できない報酬」に強く反応するように設計されている。生存に直結していたからだ。新しい情報は危険や機会を知らせ、他者からの評価は集団内での地位を左右した。
SNSは、この原始的な回路を極めて精巧に利用している。
スクロールすれば次々と新しい情報が現れる。いいねが付くかどうか分からない不確実性がある。
これはまさに心理学でいう「可変報酬スケジュール」そのもので、ギャンブルと同じ構造だ。いつ当たりが出るか分からないからこそ、人はレバーを引き続けてしまう。
つまり現代の情報環境は、単に量が多いのではない。
前述した通り、かつての情報は希少だった。だからこそ価値があり、持っている者が優位に立てた。しかし現在は真逆で、価値の源泉は量ではなく選別能力へと移行している。
言い換えれば、現代における知性とはどれだけ知っているかではなく、どれだけ遮断し取捨選択できるか である。
人間の認知資源は有限であり、注意力・集中力は最も希少な資産だからだ。無数のノイズにさらされ続ければ、思考は鈍り、深い集中状態に入ることができなくなる。
もはや生活習慣病に「スマホ依存症」を加えてもいいのではないかと思うくらいである。
情報に支配される側でいるのか。
それとも情報を選別し、制御する側に回るのか。
その境界線は、意外とハッキリしているのかもしれない。