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私がiPhone 13 miniを使い続ける理由

私がiPhone 13 miniを使い続ける理由

早朝5時。いつものようにジムへ向かうため家を出た。いつも聞いてるPodcastを聞こうか、それとも高揚感のある音楽でも聞こうか。

少し悩み、結局Podcastの再生ボタンを押して、サッとポケットにiPhoneをしまう。

この何気ない当たり前が、なぜかすごく気持ちいい。

スマホの画面は、なぜ大きくなり続けるのだろう。どんどん大きくなる機種に逆らうように、私はiPhone 13 miniを長年使用し続けている。

iPhone 13でminiシリーズが打ち切られ、Airが出るも画面サイズは大きいまま。ポケットの中でじわじわと存在感を主張するようになっている。でも人間の手は、この10年で特に大きくなっていないし、これからも大きくなることはないだろう(突然変異しない限り)。ポケットも、体も、変わっていない。

変わったのはスマホの「使われ方」だ。

もはやPhoneではない

かつては連絡を取るための道具だったものが、いつの間にか動画を見るための道具になり、コンテンツを消費するための道具になってしまった。そして消費を快適にするために、画面は大きくなった。

私はiPhoneを3Gから使用しているが、当時はYouTubeやニコニコ動画くらいしかなく、コアなユーザーが使うくらいだった。あまり見た記憶もない。

時代は変わって今は動画がメインコンテンツだ。より画面を大きく、快適に視聴できるように進化した。生活の方に最適化されている。

しかし私はそこに、少し違和感を覚えている。

スマホが大きくなったのは、たしかに理にかなっている。動画を快適に見るには大きい画面の方がいい。それは正しい。

ただ、スマホはそもそも「体に密着して持ち歩くもの」でもある。

時計を思い浮かべてほしい。スマートウォッチは多機能になりながらも、腕に収まるサイズを崩していない。イヤホンも、有線から完全ワイヤレスへと進化する中で、どんどん耳に溶け込む方向に向かっている。体に密着するものは、機能が増えても「存在を主張しない」方向に進化してきた。

スマホだけが、その逆を行っている。ポケットにしまうには明らかに大きい。

「動画を見やすくする」という目的に最適化した結果、「持ち歩く道具」としての快適さが後回しになった。コンテンツのために体が合わせる形になっている。

私が13 miniを使い続けているのは、そこへの静かな抵抗みたいなものだと思う。

私が静かな抵抗しているなか、新しいiPhoneが出るたびにSNSが沸き立ち、レビュー動画が量産される。流れで買ってしまう人も多いのではないか。

でも考えてみると、アップグレードしないという選択は、実はかなり主体的な選択だと思っている。「今持っているもので十分足りている」と自分で判断することがミニマリズムだ。

開発側の視点でも13 miniはまだまだ現役である。AppleはiPhone 7向けの最新バージョンであるiOS 15.8.7を先日2026年3月11日にリリースした。古い端末ユーザーへのサポートを行っているのだ。

そう考えると、新しい端末を使う必要はガジェットレビューを生業にしている人以外は全く必要ない。

利便性と簡易性

私が13 miniを使用していて不便を感じないのは、不便と感じる使い方をそもそもしていないからだ。

道具が小さいから使い方がシンプルになる。使い方がシンプルだから必要なものが明確になる。必要なものが明確だから、余計なものに時間を使わなくなる。このサイクルがうまく回っている。

iPhoneが脇役で、主役は自分の時間であり、自分の体であり、自分の一日だ。あくまでスマホはそれを補助し、豊かにするためにある。

だが、もしAppleがiPhone 3Gくらいのサイズで最新スペックの端末を出したら、私は多少高くても即買いしてしまうだろう…。

iPhoneを初期から使用していて、iPhoneアプリ開発をするiOSエンジニアになったのもiPhoneへの愛というか執着なのかもしれない。

とにかく、利便性とシンプルさを兼ね備えたiPhone 13 miniが私のエッセンシャルデバイスである。

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